留学生に聞く、フランス社会の歪み

今日フランスから来ている留学生に話を聞く機会があった。

フランス人というと、おしゃれで気高いステレオタイプがあるが、実際彼女はとてもファッショナブルでクールだ。話をしている最中も、自分のカバンから巻紙とたばこを取り出し、自分で紙巻きたばこを作っていた。指先に彫られたタトゥーも素敵である。

普段は思慮深い感じの彼女であるが、私がいざ質問をすると堰を切ったように思うところを話してくれた。

まず最初に、リベラルアーツの話になった。

彼女曰くフランスの大学教育とアメリカのそれは、かなり異なるらしい。

フランスの彼女の大学では、大教室での講義が中心だという。一人の教授相手に100人も200人も生徒がいるのが一般的だそうだ。さらに宿題は出されるものの、中途評価というものが存在しないためやるかやらないかは学生の自由にゆだねられている。成績評価は期末テスト一本で行われるため、生徒はテスト3日前から徹夜で勉強する。。。

ここだけ聞くとまるで日本みたいだ。

しかし少し日本と異なるのは、宿題が難しく、しかも大量に出されるところなのだ。

1週間ごとに論文の提出が課され、生徒は緻密なリーディングに基づいて、自分の考えを論理的に練り上げることを要求される。

やらなくてもいいとはいえ、やるとなると非常にたいへんだが、得るものは大きいと彼女はいう。

そんな彼女はアメリカのカレッジライフにちょっと戸惑っているらしい。

私たちの大学では、宿題は多いし提出は必須だ。

しかし読後感想文などといった単純な課題が多いのも事実。

彼女はそれに対して「ただの作業。ちっとも面白くない。」と言い放っていた。

 

その後、フランスの社会について聞いてみると、それこそ矢継ぎ早に次々と、彼女の考えを話してくれた。

フランスでは厳然たる「格差」が存在しているという。

人種、出身、知識、情報、経済、宗教、教育・・・・・。

社会が様々にひび割れており、その中である集団がある集団を避ける、排斥するということが起こっているそう。

人々は自分たちの価値基準で行動し、他人を判断する。

人々の間の心理的な距離はそのまま経済的・教育的格差につながり、そしてその格差は世代を追って再生産されていく。

格差がもたらす過酷な現実の集積を、いわゆるフランスのエリート層は放置してきた。

学校や親は、移民の住む集合住宅街には近づくなと言うらしい。なぜなら危険だからだ。

格差の放置と心理的な断絶は、市民の間でやり場のない怒りへとつながっていった。

それが原理主義宗教という起爆剤と合わさってもたらされたのが、フランスでのテロだという。

彼女は、このようなフランスでテロが起きるのは何も珍しい事じゃないし、これからも起きるだろうと断言する。

そして彼女の将来についても話を聞くことが出来た。

彼女曰く、エリートがエリートの殻に、労働者が労働者の殻に閉じこもっていては、何も変わらない。どこかでこの殻の再生産を食い止めなければならない。

そうすべく彼女が思い描くのは、教育だという。

教育、それも誰しも共通に受ける初等教育に、彼女はやりがいを感じているそうだ。

そこで教えられるべきは何か。それは「自分の頭で考える大切さ」だと語る。

薄っぺらい他者尊重でもなく、実現不可能な理想でもない。

ただ、この厳しい世界のなかでは、自分自身が情報をかき集め、自分自身で将来を切り開くプランを考えることが非常に重要なのだ。

エリートや貧困、国籍や社会区分といった既存の価値基準に囚われることなく、読書や経験に裏打ちされた自分の価値基準で行動すべきだ。そしてそれこそ、人間として生きる、一番のよろこびとなるのだと彼女は言う。

自由とは、人にすべて自分の頭で考えることを要求する。

とても重いけれども、本当に貴重な人類最大の遺産を、我々は与かって生かされているのだ。

そう語る彼女からは、自分の理性と能力を信じる強さを感じることが出来た。

 

今、人々は自由をどうとらえているのか。

その重みに耐えきれなくなって、自ら手放そうとしているのではないか。そんな事を思わせてくれる、とても面白いお話だった。