留学先を退学になった。
実際退学になったのは一月中旬の話であり、
それから留学先で面談をし、日本に帰ってきて、早稲田と面談をし、
とりあえず事態はひと段落したので、ようやく記事にできる。
退学理由は、実にヘナチョコなことだ。
「成人式のために日本に一時帰国していたら、留学先の学期のスタートに間に合わずビザ失効」
まず、ビザの話から始めなければならない。
アメリカだけでなく、外国に長期間留学するためには、学生ビザが必要となる。
学生ビザとは、いわば「外国で勉強するために、滞在許可をもらう」というもの。
そのため、成績が悪かったり、欠席が多かったりすれば、あっさりと抹消されてしまうのだ。
私のケースでは、留学先の授業を無理やり休んで日本に帰省していたことが、
ビザの要件である授業への出席を侵害して、ビザが失効になってしまった。
もちろん、帰省前に教授たちに欠席する旨は伝えていた。そして一部の教授からは、補修や青石綿での処置なども話し合っていた。
しかし、私が横着して、アメリカの大学の留学センターに連絡を入れていなかったのだ。
ビザの保有条件は、アメリカ連邦政府の委託を受け、個別の大学の留学センターが管轄している。
そのため、ビザの保有条件を、個別の大学の留学センターが付け足す場合がある。
私の大学の場合、「休暇後、授業開始日までに大学に到着していること」が
ビザの保有条件として付け加えられていたのだ。
事前連絡せずにそれを破ってしまった私は、留学先の大学センターによってビザ破門になってしまった。
もちろん、事前に教授に連絡を入れていた旨を報告し、酌量してもらおうとも試みた。
しかし、結果的に酌量に繋がらなかった原因は、アメリカの国としての方針だった。
大学側としては、なるべくビザを失効させたくない。
しかし、アメリカ連邦政府は留学生を受け入れている教育機関に対し監視の目を光らせており、
留学生に対し甘い処置を行う大学に、厳しい処分を下しているのだという。
もちろん国にもよるだろうが、このように学生ビザの要件は結構シビア。
現地の留学センターに連絡を入れず、授業を休みまくるみたいなことをすると、即刻失効になる。
(そんなバカなことをするのは俺くらいだろうけど笑)
この事態が発覚したのは、日本一時帰国中、アメリカに戻る寸前であった。
出国前日、荷造りをしていると、突如電話がかかって来た。
「早稲田留学センターです。大至急、メールをチェックしてください。」
何事かとメールボックスを開くと、留学先から英語でこんなメールが。
「あなたは退学になりました。即刻、荷物をまとめて寮から退去してください」
え、マジか。
実は少し嫌な予感がしていたのだ。大学をこんなに休んで大丈夫なのか、と。
急いでアメリカの大学に返信した。
「とにかく明日アメリカに戻りますので、対応はそれまで待ってください」
すると向こうは、
「これは決まったことです。もうあなたの学生ビザも失効されようとしています。アメリカに来るのであれば、観光客として、荷物を引き取りに来てください」
あ、これは本気だ、とそのとき思った。
しかしもう既にアメリカへ帰国するチケットは手元にあり、直接話をするためにも、アメリカに戻らなくてはならない。
さらにこの時はまだ、学生ビザで戻れる可能性もあった。
次の日、ともかくアメリカに戻るために、成田へ向かう。
この時はもう大忙しだった。
早稲田の留学センター、親、向こうの留学センターに、状況確認と今後の方針について電話・メールのやりとりで手一杯。
さらに離陸2時間前のことだった。早稲田からメールが来た。
「絶対に学生ビザでアメリカに渡航しないでください」
この時点で、学生としてアメリカに戻ることは出来なくなった。
というのは、学生ビザで渡航し、万一飛行機内または現地内でビザが切れると不法入国扱いになり、今後一切アメリカへの入国が出来なくなるという・・・。
しかし結局、その後私は一度アメリカに戻った。直前に大急ぎで観光ビザを取得したのだ。
飛行機チェックイン前の忙しい時間、大慌てでアメリカ大使館のホームページにアクセスし、
必要事項を記入、送信し、離陸前に何とかESTAと呼ばれる観光ビザ(ビザではない)を取得した。
一息ついたかと思いきや、飛行機搭乗でもいちいちトラブルが起こる。
ゲートというゲートを通るたび、毎回ブザーで止められる。
学生ビザで取ったチケットで、観光客として搭乗しようとしているのだから当然である。
とにかくそのたびに
「大学を退学になり、荷物を取りにアメリカに行きます」
というなんとも情けなさすぎる事情を説明するばかり。
それでも何とか飛行機には乗れた。
しかし飛行機の中でもいろいろ大変。
まず、うまくアメリカに入国できるのかという問題。
繰り返すが、「大学を退学になり、荷物を取りにアメリカに行きます」などという怪しすぎる人物を、入国審査官が入れてくれるのかどうか、実に疑わしかった。
そこで早稲田の留学センターの方とメール交換を重ね、手持ちのパスポートと観光ビザを使ってうまく入国する作戦を立てていた。
またこの時点では、こちらの主張、たとえば事前に教授に許可を取っていたことなどを伝えることなく、一方的に退学が決まってしまっていた。
そのためアメリカの友人に連絡を取り、どうにか退学にならぬよう求める2000wordsの反省文を作り、推敲してもらった。
機内Wi-Fiを3000円出して購入し、アメリカの友人たちに事情を説明したのは、後々非常に大きかった。なんと彼らが大学に直談判してくれ、これが春学期の復学にもつながったのだ。
そんなことで、14時間のフライトも一瞬に感じられた。
アメリカに到着。そしてすぐに緊張の入国審査が始まった。
入国審査官にパスポートとチケットを渡す。
案の定、すぐに審査官の顔が険しくなり、こちらをジロリと見つめてくる。
「ちょっといいですか」
と一言言われ、事情の説明を求められた。
この時の気分は、もうジェイソン・ボーンになったかのようだった。
失効したビザが記載されたインチキ臭いパスポートを手に、
「退学になったので、その後片付けにアメリカに来ました」
などという用意してもらった心にもないセリフをしゃべり、
付け焼刃で取得したホヤホヤ観光ビザで入国しようとしていた。
まるで国際手配のスパイになったかのようなスリルを、無駄に味わうことになってしまった。
結果、入国は滞りなく進み、その後無事大学までたどり着けた。
大学に着き、すぐに行ったのは留学担当者との面接。
私は担当者に、今学期の復帰はどうにかできないものかと、交渉した。
しかし答えはNO。
前述のとおり、これは大学レベルを超え、連邦政府の問題になってしまっていた。
しかし、そのあと私は本当に驚くことになる。
私が飛行機に乗っている間に、
友人、留学生仲間、近しい教授陣が留学センターに直談判してくれ、私の春からの復学にこぎつけていてくれたのだ。
これには感謝しかなかった。
この時私に下されていた処分は「退学」。
つまり、学生身分の抹消である。大学とは何の関係もない人間とされていた。
しかし、親切な方々が学長や責任者に直談判してくれたおかげで、どうにか大学にとつながっていることが許されたのだった。
その後も続いた担当者との面談の結果、
「冬学期の復学は無理だが、春学期から、奨学金含めすべての待遇はそのままに、再び復学できる」という着地点に落ち着いた。
ありがたすぎる処置だった。
処置が決まってから再び日本に帰国するまでには、いくらか時間があった。
その間は「退学バカ野郎お帰りさよならパーティ」でひたすら盛り上がった。盛り上がりすぎて寮のオフィスに怒られた。
もちろん、みんなへの感謝を込めて、すべて私の自腹(笑)。
日本から持ってきた梅酒、日本食ももはや必要なくなったので、すべて大放出し、さながら日本の飲み会のような様子だった。
この面々には本当に感謝してもしきれない。一生おごりだ(笑)。
そしてアメリカを出国、日本に帰国。
帰国後、早稲田と面談をした。
私の在籍する国際教養学部では、一年間の留学が必須となっているため、
この中途半端な留学がどのような扱いになるのか。焦点はそこだった。
結果、「アメリカに復学し、単位認定は次の学期の成績次第」とのこと。
一学期休んだ分のロスは当然非常に大きく、次の学期にこの遅れを取り戻さなければならない。
単純に考え、2倍の単位を取得すれば、結果次第ではこの中途半端な留学が、卒業要件を満たすこともあるかもしれないとのこと。
しかし確率としては甘くはなく、この一連の不祥事でいろいろなところに迷惑をかけまくり、信頼も失墜しているこの状況では、2倍の単位数かつ、完璧に近い成績を残さねば認定は厳しいということが、担当者の口ぶりから聞き取れた。
今回、本当に人に迷惑をかけ散らかした。
イレギュラーに対応してくれた早稲田留学センター、ビザ手続きや退学処置などをさせてしまった留学先の大学、無駄な飛行機代を出してくれた親、そして力になってくれた友人、教授・・・。
なんとも情けない限りであった。
彼ら彼女らに報いるためにも、そしてすべてはこれからの行いにかかっている、と身の引き締まる思いである。